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2《Uncovered Cube #146》、3《Ambivalence #03》
MADARA MANJI

2《Uncovered Cube #146》、3《Ambivalence #03》
MADARA MANJI
撮影:浅野堅一
可動展示室、最初の部屋に設置されたのは作品番号2番と3番、MADARA MANJI(まだらまんじ)です。
400年前、侍が使用する刀の鐔(つば)には持ち手と刀身の間を保護する役割と共に持ち主の好みを踏まえた装飾が施されました。
その中で培われた木目金(もくめがね)という技法は明治維新後、廃刀令により帯刀が禁止されると、その役割が失われ、日本刀と共に滅びた技術となりました。
MADARA MANJI(まだらまんじ)は金属加工における三大技術、彫金・鍛金・錬金を習得し、その滅びた技術である木目金(もくめがね)を、身をもって再現することに成功しました。
出展されている作品番号2番と3番は、そのように作られた木目金(もくめがね)を一つは立方体に、一つはコンクリートのオブジェと組み合わせることで、観客に視覚体験を作り出しています。
一つの木目金(もくめがね)が制作されるまでには、およそ3キロもある金槌を10万回ほど振るうMANJIの時間が凝縮されています。

4-9 《Untitled (Non-homogeneous arrangement)》
鈴木操

4-9 《Untitled (Non-homogeneous arrangement)》
鈴木操
撮影:浅野堅一
可動展示室、2部屋目に設置されたのは後ほどご紹介する久木田大地(くきただいち)の絵画と、作品番号4番から9番、鈴木操(すずきそう)の圧縮袋を使ったシリーズです。
みなさんは人にものを送る時、どのような手順で輸送しますか?
この圧縮袋を使ったシリーズは、鈴木が普段の生活を送る横浜で拾い集めた様々なプラスチックが美術館に送られ展示されるまでを表現しています。
集められたプラスチックは、ベルベットの布で包まれ、圧縮袋を使って固定されます。それをダンボールに詰め込み輸送会社に引き渡します。輸送会社は割れ物注意のシールを貼り美術館まで運びます。
運ばれてきたダンボールから圧縮袋を取り出し、ダンボールの上に置いて固定します。鈴木操(すずきそう)は彫刻を「人間の営みをモノに置き換えてきた歴史」と捉え、制作しています。
ところで素材リストをよく見てみると、今の説明に登場しなかったブーブークッションという文字がありますね。これはいつ、どこに登場しているでしょう?探してみてください。

10, 11《森羅万象の響きを抱くもの》
ソー・ユ・ノウェ

10, 11《森羅万象の響きを抱くもの》
ソー・ユ・ノウェ
撮影:浅野堅一
水面を表す銀の台座が、上に置かれた観音や女媧(じょか)や睡蓮を反射しています。
ここはミャンマーの作家、ソー・ユ・ノウェの部屋です。
ミャンマーは1962年から2011年までの約50年、そして2021年のクーデターから、軍人たちが権力を掌握しています。
そしてその軍人たちは、ミャンマー国内の多数派を占める仏教徒でもあります。彼らには、その強硬な態度と仏教への帰依(きえ)が同居しています。
右奥にある作品番号10番は、近年とある軍人が夢の中で女の姿をした彫像に誘惑され、その誘惑を恐れた彼が、翌朝おきてすぐに彫像に鎖を巻きつけたエピソードを示します。
また手前にある作品番号11番は、東アジアの仏教を広く調査しているソー・ユ・ノウェが、タイやミャンマーでは女性として描かれる観音像が日本では所により男性として表わされることに注目し、ジェンダー・アイデンティティの切り替わるポイントに焦点をあて、新しい観音を制作したものです。

17-20《Untitled(Deorganic Indication)》
鈴木操

17-20《Untitled(Deorganic Indication)》
鈴木操
撮影:浅野堅一
可動展示室、4部屋目に設置されたのは先ほどの久木田大地(くきただいち)の絵画を使った半立体のキャンパスが広げられたものと、作品番号17番から20番、鈴木操(すずきそう)の風船を使ったシリーズです。
彫刻を「人間の営みをモノに置き換えてきた歴史」と捉えている鈴木は一方で「歴史にとって一人の人間とは何か」を考えています。この風船のシリーズは圧縮袋のシリーズを「空気を抜いて」作った後に「空気を入れる」ことを目指して作られました。
横浜でゴミを拾っていた鈴木は、日本は産油国でないにも関わらず大量のプラスチックゴミがある一方、自給率100%の資源である石灰がゴミに含まれていないことに気づきます。
そこでシルクのコットンに石灰を主原料とする漆喰を詰めて、風船に空気を入れるためのおもちゃを作り始めました。このシリーズはみんなで風船を膨らまし、割れたり割れなかったりすることを楽しむためのものです。
楽しんだ後の割れた風船が、おもちゃの周りには散らばっています。

21-24 《煌金彩虚視線刻入道》ほか
金理有

21-24 《煌金彩虚視線刻入道》ほか
金理有
撮影:浅野堅一
扉がひらき、少し音が聞こえます。目が一斉にこちらを見ています。
作品番号21番から24番、日本人の父と韓国人の母を持つ金理有(きむりゆ)の部屋です。
日本列島の歴史は縄文から始まっています。そして日本のコンテンツは主にアニメーションを通じて日本の未来を表現するものがたくさんあります。それらに共通するものはなんでしょう?
金理有(きむりゆ)は粘土に水を加え、こねて成形し、焼き固めるという縄文時代から繰り返されてきた陶芸に身を委ね、また作られた陶芸には縄文土器のような紋様が浮かび上がっています。
一方、キムは14歳の時に新世紀エヴァンゲリオンを観てからSFに魅力を感じてきました。そしてSFのイメージの一つであるプリント基板の紋様に未来を感じてきました。
そうしてある時、朝鮮半島と日本列島の二つのルーツを持つキムと同じように、縄文土器とプリント基板の紋様を、人類が普遍的に行ってきた陶芸から浮かび上がらせるような制作として始めました。

25 《あなたの塵に映る私の影》
鄭天依

25 《あなたの塵に映る私の影》
鄭天依
撮影:浅野堅一
作品番号25番は、これから3部屋つづきます。
香港とオランダの大学で研究を至って、詩的な空間をつくる鄭天依(じぇんてんい)は今回、広島の古物をリサーチしました。
一部屋目で見ることのできるショートフィルムのロケハンから制作をスタートした彼女は、基町の地下室や地元のリサイクルショップなどに潜入します。
その中、中国人の店主によって営まれているリサイクルショップの倉庫が特に繋がりを感じました。
自分と同じ国の出身である店主は既に高齢で、半世紀もの間、この広島市ので中古品を売買し、生計を立ててきたのです。
一人の人間の人生が詰まったその空間は、しかし廃墟好きの人々の間で話題になるほど荒れ果てています。
その空間から家電を救い出し、鄭天依(じぇんてんい)とエンジニアのエドは、それらが生きているように命を吹き込んだのです。

26 《とるの・とるたす(旅と回転)》
遠藤薫

26 《とるの・とるたす(旅と回転)》
遠藤薫
撮影:浅野堅一
大きな展示室の右奥は、作品番号26番です。
遠藤薫(えんどうかおり)はガラスケースや竹、たくさんの陶芸や写真を作ったり収集したりすることによって空間をつくります。
今回の空間を制作するにあたって彼女は、ここ大竹市から韓国ソウルに向けて時計の右回転を描くような旅をしました。
まず大竹から宮島に移動し、宮島でお砂焼き(おすなやき)のための土を入手しました。お砂焼きでは旅の無事を祈るお守りとして神社のお砂(おすな)を持ち、旅先の土を持って帰り陶器にして返納します。
その土をもって宮島から四国、四国から九州、九州から対馬を通って釜山、韓国ソウルまでをろくろのように回ったのです。
これは秀吉が朝鮮出兵の時に磁器の職人を連行してきた旅の逆回転でもありました。
彼女は歴史には語られやすい部分と語られにくい部分があると言います。その語られにくい部分までを含めた歴史の雄弁さを表現するために空間を制作しています。

27《煌金彩果心樹線刻菩提日女》、30《霊性》
金理有、鈴木操

27《煌金彩果心樹線刻菩提日女》、30《霊性》
金理有、鈴木操
撮影:浅野堅一
作品番号27番の金理有(きむりゆ)の陶芸と、作品番号30番の鈴木操(すずきそう)の彫刻が見つめあっています。
そして金理有(きむりゆ)の陶芸は一つ目で、鈴木操(すずきそう)の彫刻には目がありません。
また金(きむ)は朝鮮半島と日本列島という二つの自分のルーツを、鈴木は自分も含めた人間が普段から行っている生活・営みを、彫刻しています。ルーツも生活や営みも、私たち誰もが持っているもので、気にしないこともあるかもしれないけど、気にすることのできるものです。
陶芸や彫刻という素材は、そのような人々が気にしたりしなかったりすることを、改めて表現することによって、私たちの目の前に出現させてくれます。
一見するとわかりにくい表現であったとしても、そこには作家のルーツや生活や営みが必ず入り込んでいます。
今回の特別展は、この二つの全く変わった形をした存在が、互いに見つめ合うことのできるような展覧会を目指しました。

28, 29《Nudihallucination》
オミョウ・チョウ

28, 29《Nudihallucination》
オミョウ・チョウ
撮影:浅野堅一
作品番号28番と29番、2匹のアメフラシが展覧会場に置かれています。
オミョウ・チョウは韓国出身で、2010年代に韓国で大きな影響を持った女性による文学運動とSFを組み合わせた小説を発表してきました。
そして発表した小説の中に特別な生き物として登場するアメフラシをステンレススチールや外科用チェーン、ガラス、銀、樹脂顔料といった素材を使って制作してきました。
彼女の描く小説では人間の記憶や生命のあり方に対して登場人物が悩む時、アメフラシの脳細胞が参考にされ、それによって人類が能力を開発していく未来が選択されます。
そして開発された人間たちによる社会と、その共感能力によるディストピアが描かれます。
アメフラシは神経科学の研究において人間の脳細胞を理解する上で極めて示唆的な生物として知られています。
また作られたアメフラシはガラス細工や工芸としての美しさも追求されています。

33-39 《Repetition_ぶらんこ01》ほか
久木田大地

33-39 《Repetition_ぶらんこ01》ほか
久木田大地
撮影:浅野堅一
作品番号33番から39番、今回の展覧会において最年少の2000年生まれであり、また唯一の画家である久木田大地(くきただいち)は、様々な古典絵画、特にバロック時代の名画から主要なモチーフをサンプリングする手法を採っています。
日本人にとってヨーロッパの名画とは、知っている人は知っているけど、普段から目にする機会のない、縁がないけれども良いとされている不思議なものです。
そして現代美術というジャンルそれ自体も、縁がないけれども良いとされているものの一つと言えるでしょう。
久木田はフラゴナールやルドンといった、絶妙な距離感の画家を選び出し、彼らの代表的なモチーフを抜き出し、それをスタンプのように並べたり、絵画とレリーフの中間のようにして遊ばせたりすることで、私たちと絵画の距離感を絵画を使って表現します。
展覧会全体に展示された絵画は、難しく考えず遊びとして眺めて欲しいと、おもちゃ箱のように配置を決めた作家の遊び心が現れています。

31,32《いとなみとしての文字》
ムハマド・ゲルリ

31,32《いとなみとしての文字》
ムハマド・ゲルリ
撮影:浅野堅一
作品番号31番と32番、台に並んだカラフルなマスク群と、三対の垂れ幕。ゲルリ・ムハンマドはインドネシアのスンダ族という少数民族にルーツを持っています。
そしてスンダ族に伝わる農業、食に深く関係している豊穣の女神をモチーフに、今回の展示を構想しました。
いまゲルリの地元では彼らの農業用水を汚染する事件が起こっています。
スンダ族にとって神聖な場所であった洞窟が鉱物の採掘のため閉鎖され、開発により水質が悪化してしまったのです。
ルーツである部族の大切な文化、農業へのリスペクト、それを表現するため、かつて洞窟で行われていた儀式で使われていたマスクと共にスンダ族が葬儀の際に死者を絡むための白い布を掲げています。
開会式で行われたパフォーマンスでは、スンダ族の儀式にある、その土地の土と顔料を口の中で混ぜて作った塗料を使って、来場者達から「食」にまつわる文字や意匠を集めました。
ゲルリは仲間である農家と農業に取り組むと同時に、用水の汚染のためのデモを組織するなど、今も活発な活動と並行して発表を行っています。

エミール・ガレの庭
エミール・ガレ

エミール・ガレの庭
※本展会期中はエミール・ガレの作品の展示はございません。
エミール・ガレ
ガレが植物や昆虫をモチーフとする独自の表現を築いた背景には、彼の自然に対する強い関心がありました。
フランスのナンシーの自宅に設けた広大な庭には、温室や湿地、野菜園や果樹園があり、日本の品種を含む3000種類近い植物が植えられていたと言われています。
そこに集まった自然を観察しながら、作品の着想を得るとともに、その神秘の解明にも力を注いだのです。
当館の「エミール・ガレの庭」は、そんなガレの作品に登場する草花を中心に、ここ広島の植生に合わせて構成された庭園です。
庭園内には、池やパーゴラ、ボードウォークなどが設けられていて、春には、ケマンソウやニオイアラセイトウが花を咲かせ、夏には、コウホネやスイレンの花が池に浮かびます。
秋にはイヌサフランが再び姿を現し、冬にはスイセンが水辺を彩ります。
ときには、蝶やトンボなどの昆虫たちにも出会えるでしょう。
ガレの作品とともに彼が愛した自然を心ゆくまでお楽しみください。